Posted on: 2024年4月10日 Posted by: himuka Comments: 1

この投稿は、私の個人的なブログに投稿した記事の転載です。
私たちは人間である以上、大切な人と別れる確率は100%です。
必ず訪れる別れについて、自分のためにも綴った想いです。

   


   

春ですね。

日本は四季がはっきりしているし、イベントごとも年中賑わう国。
美しくもあり、時には残酷でもあり・・・

今日は、大切な人を亡くした方には少し辛いお話なので、心の整理がついていない方は、ここで離れて下さいね🙏🙏🙏

最近、ある方の話を聞いて、深く思うことがあったので、ここに辿り着いた皆さんへ、私のハートからのメッセージをお伝えします。

先日、とても素敵な女性の話を聞きました。
もう30年以上、お子さんを亡くされた方々の会のお世話していらっしゃるという方で、そこでの経験などをお話しして下さいました。

大切な人を亡くしていない私には遺族の方の気持ちをわかってあげられないのかも知れない。

これまで、そんな思いを抱いていましたが、その方の話を聞いて、経験があろうと無かろうと、理解できるわけがないと悟りました。

他人に出来るのは、ただ心を砕いて関わること。
目を背けたいと思っても、そこに一緒にいられるのか?
そんな覚悟のようにも思えました。

悲しみが癒えるというのは、どういうことなのか?

それが、少しだけ見えたような気もします。
私が感じただけのことなので、不快に思われる方もいらっしゃるかも知れません。
でも、何かを感じて下さる可能性もあると信じて、私の想いをシェアさせていただきます。

5歳のお子様を亡くされたあるお母様のお話、
その方はお子様を病気で亡くされた時、自分の人生を否定されたような気がしたとおっしゃったそうです。

それまで順風満帆の人生を送ってきて、それなりに努力をして、欲しいものは全て手に入れてきた。
それなのに、我が子の病気を治そうと、あらゆる手段を使っても叶うことはなく、息子は死んでしまった。
今までの人生で一番強く願ったのに・・・と。

お子様を亡くしてからは、社会で役に立つ仕事をしようと、新しく仕事を始め、様々な功績も残されたそうです。
それでも、何をしても、癒されない悲しみ。
お子様を亡くされてから10年程経った時に、泣ける場所が欲しいと、その会に入られたそうです。
10年経っても、20年経っても薄れない、

むしろ増大してしまうような悲しみもある。

大切な人を失った場合、目の前に大きく立ちはだかるのは喪失感や後悔なのかなと私は想像するのですが、
それを本当の意味で癒すのは、時間でも、泣くことでも、誰かのサポートでも無いのかも知れないと直感的に思いました。

大きな悲しみに隠れて、きっと何か、喪失感とも後悔とも違う、ご自身で抱えている別のことがある。
そう思えてならない私です。

自分の人生を否定されたという想い。

それは恐らく、10年という月日で出てきた感情なのだと思います。
そして、その感情が生まれる元となっているのは、お子様が生まれるより前、
もしかすると、ご自身が生まれる前のことも絡んでいるのかもしれません。

悲しみを癒すということは、

自分を許す

ことなのではないのか?

そんな風に思いました。

先出の方であれば、何もかも上手くいっていた自分が一番大切な子供を失ってしまった。
親の期待にも応え、仕事も辞めて子育てにも専念してきた。
それなのに、どうしてそんな仕打ちを受けなければならないのか?
そのように思っていても、責めているのは、神でもなく、他の誰でもなく、そうなってしまった自分自身なのかもしれない。

周りの人たちにとっては、いずれ過去のこととなり、
ちょっとした言葉や態度で傷ついてしまう自分がいる。
いつまでも悲しみから抜けられない自分を隠すことにも疲れてしまうと思います。

無意識のうちに、そんな自分を受け入れられない、許せない自分が大きくなっているということはないでしょうか?
誰かに認めてもらわなければならないのでしょうか?

それは、多分、潜在意識にある他の記憶とくっついて深く沈んでしまったり、なかなか感じ取ることは難しかったりするし、気づきたくない意識が邪魔をするかもしれない。

でも、そこに癒しの糸口があるような気がしてなりません。
自分を深いところから許すことさえ出来れば、悲しみというもつれも解けていくのかもしれない。
そんなことを思うこの頃です。

親の死 あなたの過去を失うこと
配偶者の死 あなたの現在を失うこと
子供の死 あなたの未来を失うこと
友人の死 あなたの人生の一部を失うこと

Grollman,Earl A.

E・グロールマンという長年グリーフケアに携わったカウンセラーの方の言葉だそうです。
そんな風に思って皆さん生きておられるということが感じられます。
でも私は、そんな風に生きて欲しくないと思う人間です。
だから、私はグリーフケアに関わるつもりはありません。

近しい人に直接伝えられないようなことを、別の場所で必要な人にだけに伝えていきたい。
こういう文章に辿り着く時が、その方にとってのタイミングだと信じて。

死は悲しいけれど、悪いことではない。
誰も悪くない。
何かを失うことでもない。

聞き飽きた話かもしれませんが、
人間の死というのは、肉体の死であって、魂はずっと生き続けると信じています。

肉体の死を迎えた人が、残された私たちに残してくれるギフト、きっとあるはずです。
いつでも瞬間的に繋がれるという真実、それを感じる力を取り戻すこと。
そんなことに目を向けられたなら、きっと何も失うことはないと思うのです。
現代の社会常識により失ったように感じているだけで、本当は何も失うことではないのかもしれない。

もし自分が大切な誰かを失ったなら・・・
失ったこともない人に、そんなことを言われたなら
とても傷つくかもしれません。

でも、何年か悲しみに暮れた後にこのような答えに辿り着くのではないかと思って、書き記してみました。

自分のためでもあります。

   

   

桜の咲く季節に大切な人を亡くされた方は、この季節をどんな気持ちで過ごしているのだろう?
そんなことを、ふと考えてしまって、胸が苦しくなります。

残酷にも、桜は毎年必ず咲くし、人々は歓喜し、卒園、卒業、入学、入園、子供の日、母の日と・・・
季節は巡る。

ギフトを受け取らなければ、辛いままに季節は巡ります。
もし、受け取ることが出来たなら、温かい気持ちで故人と会話できると、信じたい私です。

このメッセージが誰かの心に届くこと、
すべての人の毎日が輝くことを願って。

   


   

最近また、若くしてご主人を亡くされた方を知りました。
急逝されたそうです。
そんな話も本当によく耳にするようになったこの時代、
人間として生まれた私たちに出来ることは、

今ここ

を全力で味わうことなのかなと思います。
今、この瞬間に近くにいる人を大切にし、
今の感情を存分に味わう。

そうすることで、少しでも後悔のない人生を送れたら良いのかな?くらいしか
私には思いつかないけれど。
今を大切にすれば、故人が送ってくれるサインにも気づけるかもしれません。

私自身、まだ経験していないはずなのですが、
大切な人からのサインに気づいた時の、ジワーッと湧き上がる何とも言えない感覚だけはわかったりします。
生きているその人に何かをしてもらったり、言われたりするよりも、もっともっと深い感動です。

あなたにはわかりますか?

   

   

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